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2006年4月26日 (水)

消えていく記憶、見えない恐怖~チェルノブイリ原発事故から20年~

今からちょうど20年前の1986年4月26日未明、当時のソビエト連邦ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で、その事故は起こりました。

当時の私は成人したばかりの若造でしたが、その衝撃は今でも覚えています。

国境を越えて拡がる放射能汚染の恐怖。

でも、それから20年が経過した今思うのは、しょせん自分にとって『対岸の火事』としか認識していなかったということ。

ここで当時の事故を簡単に振り返ってみると…

定期点検中の原子力発電所で、出力を停止する際の実験で突然爆発が起こり、原子炉は壊れ、核燃料は粉々になって1000メートルから2000メートル上空まで吹き上げられました。鎮火には1週間も要し、作業に関わった多くの人も被爆するという事態となりました。

あまりの事故の大きさに、コンクリートで事故を起こした4号炉を閉じ込めるという方法しか行うことが出来ず、今尚、想像を超える量の放射能が存在しているのが現実で、最近では、そのコンクリート自体も風化の問題が生じているような状況。

事故後、チェルノブイリ原発の周囲30KMは人の住めない所となり、14万人の人が非難したと言われます。

又、放射能汚染により、子供の甲状腺ガンが急激に増加し、当時は発生しにくいと思われていた大人の甲状腺ガンも今なお増加しているそうです。

そのために、チェルノブイリ周辺は若者が町を離れ、家族が離れ離れになり、多くの村や町が今なお消滅していっている。

放射能汚染で被爆している土地から、離れたくても離れられない老女。

息子と離れ離れになり、被爆した土地に残って生きる老父。

日本では、原爆の被爆者が有名ですが、実は世界中にはヒバクシャと呼ばれる放射能汚染に苦しむ人々が数多く存在し、チェルノブイリのように原発の事故で被曝する人の他にも、核実験の影響で被爆に苦しむ人は数え切れないと言います。

また、明らかに放射能汚染で被爆していると分かるような状況でも、事故との因果関係を否定され、国からも見離されることも少なくない現実。

目に見えず、匂いも味も無い放射能に侵される恐怖。

それだけに、チェルノブイリのように一度フタをされてしまえば、被爆を免れた人々はそれで安全だと思ってしまう錯覚。

そして薄れていく恐怖の記憶。

日本でも、敦賀原発事故から時間が経過し、記憶が風化するにつれて、浮上してきた『原発安全論』。

特に私たち日本人の場合、どうも根拠の無い雰囲気に流されやすい傾向にあるようなので、今いちど、一人一人の心の中で、記憶を呼び起こすと同時に、記憶が風化しないように努めていかないといけないのかもしれません。

そうでなくても、人は忘れやすい生き物なのですから…

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2006年4月25日 (火)

JR尼崎事故~スイート・ヒアアフター~

皆さんご存知のように、今日であの『JR尼崎事故』から丸1年が経過しました。

2005年4月25日午前9時18分頃。

その事故は起こりました。

死者の数107名、重軽傷者数555名という大惨事から丸1年が経過した今も、多くの方が心の傷を抱えて生きておられることと思います。

私も事故の数ヶ月前まで、JR福知山線を何度か利用したことがあり、時折『えっ?』と思うようなスピードで列車が走っていたことを思い出すと、空恐ろしい気持ちになります。

人類は社会の発展と共に、数多くの事故を体験してきました。

有名なところでも、タイタニック号の海難事故、飛行船ヒンデンブルク号の事故、日航機墜落事故、スペースシャトルの墜落事故などなど…数え上げればキリがないほどです。

今の文明社会の中で生きていく限り、いつ誰にでも起こりうることなのかもしれませんが、とは言っても、実際に自分の身の周りに起こるまでは誰もそれを想像することすら出来ません。

そして自分の身の周りに起こったときに、それが誰にでも起こりうることなのだということに気づくと同時に、それにどう対処したら良いのか分からずただ時の流れに身を委ねるしかないのかもしれません。

みなさんは、『スイート・ヒアアフター』というカナダ映画をご存知でしょうか?

Photo_12 1997年のカンヌ映画祭でグランプリを受賞した作品でもあるので、観られている方も少なくないかもしれません。

監督・脚本はアトム・エゴヤン。

エジプト カイロ生まれのカナダ人という異色の経歴をもつ監督です。

ある小さな田舎町で起こったスクールバスの転落事故に巻き込まれた人々の人生を描いた作品です。

タイトルのTHE SWEET HEREAFTERとあるように、バスの転落事故が起こった後の人々の生活を中心に描いています。

でも、この映画の良いところは、バスの転落事故という悲劇性に必要以上にフォーカスを当てたり、ドラマチックに描こうとしていないところです。

”悲しい”とか”つらい”とか、そんな単純な言葉では表現出来ない何かが伝わってくると思います。テレビのニュース番組で取り上げるような、単色的な描き方ではないものが伝わってくると思います。

映画の導入部分では、すでに事故が起こった後のところからとなりますが、別にそれを説明するような描写はなく、観ていくうちに自然とその映画の登場人物の世界に引き込まれていく感じです。

JRの尼崎事故に限らず、事故や事件に関わらなかった私たちは、ついついそのドラマ性や悲劇性にばかり目がいき、表面的なところで分かった気になってしまいがちですが、もっと本質の部分に目をむけていく必要があるのでしょう。

メディアが伝えてくるニュース番組や特集番組を見て、分かった気になってはいけないのかもしれません。

自分が事故や事件に巻き込まれてから考えるのではなく、普段から自分の身の周りで起こっている出来事に注意しないといけないのかもしれません。

本日、事故発生同時刻に現場付近を通過した列車が、追悼の意味を込めて極端な低速で走り警笛を鳴らしたようですが、それを聞いた遺族の方がこう言われたそうです。

『今ごろゆっくり走っても遅いわ。』

事故の当事者にすれば、丸1年であろうが、丸10年であろうが、起こった出来事を変えることは出来ないのです。

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2006年4月23日 (日)

第三の男~アリダ・ヴァリ死去~

4月23日付のYOMIURI ON LINE記事によると、あの名作『第三の男』のヒロインで知られるアリダ・ヴァリがローマ市内の自宅で亡くなられたそうです。

享年84歳。

アリダ・ヴァリは先日ご紹介した『かくも長き不在』にも出演していましたが、

キャロル・リード監督の『第三の男』や、ヴィスコンティ監督の『夏の嵐』、ベルトルッチ監督の『暗殺のオペラ』といった巨匠の作品の他にも、オカルト映画『サスペリア』やサスペンスの『カサンドラ・クロス』といった作品に名を連ねるイタリアを代表する女優さんです。

そんな作品の中でも、やはり私が好きなのは

『第三の男』

Photo_10

この映画に関しては、本当に語るところが数多くある作品で、名作の中の名作の一つですよね。

人によっても好きなところは、それぞれ違うかもしれませんが、数々の名シーン、印象的な音楽、個性的なキャスティング…

舞台は第二次大戦後のウイーン。

親友ハリーの招きでウイーンを訪れた作家マーチンが、ハリーが死亡したことを聞かされるところから映画が動き始めますが、なんと言っても、オーソン・ウエルズの登場シーンが印象的ですよねえ。

それに映画の最後のシーン。

真っ直ぐに伸びた並木道をアリダ・ヴァリ扮するアンナが歩いてくるのを、ジョセフ・コットン扮するマーチンが待っていますが、アンナはマーチンに見向きもせずに通りすぎていく…

イイですよねえ。

実はこのシーン、原作では『アンナが途中からマーチンと肩を並べて歩き、マーチンの腕に手を通す』ことになっていたのを、監督のキャロル・リードが変更したそうです。

まさしく、映画ならでは演出ですねえ。

それに、アントン・カラスの音楽!

第三の男といえば、チターの音楽、チターの音楽といえば、第三の男というぐらい有名ですけど、きっかけは監督のキャロル・リードが撮影でウイーンで滞在したときに訪れたワイン酒場で流れていたのを耳にして、『チター一本で映画音楽を構成する』ことを思いついたとか。

アリダ・ヴァリさんのご冥福をお祈りします。

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2006年4月22日 (土)

普通って?~岐阜の女子中学生殺人事件で思うこと~

岐阜県中津川での女子中学生殺人事件。

犯人は普段から交際のあった高校1年生の男子生徒。

動機はまだはっきりしないものの、交際をめぐるトラブルをほのめかしている様子。

こういった事件が最近本当に増えている気がするのは気のせいなんでしょうか?子供をめぐる事件が新聞の紙面を賑わすことが珍しくなくなってきたのが怖い気もします。

しかも、子供同士の事件。

この高校1年生の男子生徒も普段は普通の子だったらしいですけど、こうなってくると何が普通で何が普通でないのか?が分からなくなってきます。

そもそも、今の日本社会で言う『普通』って何をさすんでしょうね?

逮捕された少年の家族は数年前に東京から引っ越してきて、『あいさつもするし、よく冗談を言う明るい子』だったようですが、確かに、それはごく普通の子ということかもしれません。でも、そもそも人の心の中というものは、単に挨拶をするとかしないとか、冗談を言う言わないといったことで分かるものなんでしょうか?

だって、普段から『アイツ危ないゾ』って思えるほうが少ないし、多分、そういった場合のほうが犯罪は起こりにくいんじゃないでしょうか?

となると、『人を見たら泥棒と思え』がイイのかというと、そんな単純なものでもない。

実は、今の日本社会って、大人も子供も何が普通で何が異常なのか?が分からなくなってきてるのかもしれませんよね?

戦争を何十年も経験していない世界でも数少ない国。

街で飢え死にする人を見かけない国。

世界で一番の長寿の国。

莫大な借金を抱えてながらも、不景気と言われながらも、海外のスーパーブランドの店に群がる国民。

海外旅行が珍しくない国。

などなど。

これって普通なんでしょうか?

世界の他の国から見れば、日本ほど恵まれている国は無いのかもしれません。

でも、それを実感出来ずに感覚が麻痺して、自分たちの居場所を見失っている私たち。

だから、友達がいることが普通で、いないのがオカシイって発想につながって、友達なんだから、恋人なんだから、自分に~をしてくれるのは当たり前!って思ってしまう。

だから、ちょっとでも自分の気に障ることを相手がしたり、言ったりすると、すぐキレル。

自分でなくて、相手が悪いと思ってしまう。

今回の事件もそんな今の日本が抱える病の現れなのかも?と思ってしまいます。

この少年もそういった日本病の被害者なのかもしれません。

最後に、亡くなった女子中学生の冥福を心から願うのみです。

PS.

今回は、事件が事件なので、いつものような映画の話は控えさせてもらいました。

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2006年4月21日 (金)

最後の誘惑 ~ヘビの祖先~

昨日のyomiuri online記事で、ちょっと面白いものがありました。

『ヘビに脚、9300万円前の化石…アルゼンチンで発見』

記事によると、パタゴニア地方の9300万年前の白亜紀後期の地層から、後ろ脚のあるヘビ化石を見つけたとのこと。

実は後脚のあるヘビは、これまでも三種類発見されていたようなのですが、今回の化石が珍しいのは、その化石が発見された場所が『大昔においても陸地』であったこと。

これまでは、海だったと考えられる場所で発見されていたために、ヘビの祖先は『海を泳いでいた』と考えられていたようなのですが、この発見によって『ヘビはトカゲ類が穴の中を這い回るうちに、不要な足を失った』という陸上起源説が有力になったとのこと。

へえ~って感じですねえ。

ヘビに脚があったんですねえ。確かに、いきなりあの形っていうのも、なんで?って感じもしますから、トカゲ類が祖先というのも分かる気がします。

そのヘビはやっぱり見た目が強烈なだけに、昔から人間に忌み嫌われる存在で、旧約聖書ではヘビがイブを誘惑してリンゴを食べさせたために、あんな姿にさせられたことになってますけど、確かにあの姿はどうひいき目に見ても、神様から祝福されてる感じではないですもんねえ^0^;

その言わば、人類に最初の誘惑を行ったと言われる『ヘビ』。

今や、誘惑だらけの世の中になって、さしずめ『ヘビの天下』ってところでしょうか?

そういえば、マーティン・スコセッシ監督の『最後の誘惑』って映画観ました?

Photo_9 私はだいぶ昔に観たきりなんですけど、1988年制作の映画で、イエス・キリストの最後の日々を『誘惑』という観点で描いた作品です。

主演はイエス・キリスト役でウイリアム・デフォー、ユダ役はハーヴェイ・カイテル。ちょっと変わったところでは、ピラト総督役でデビッド・ボウイ。

この映画の脚本は、『タクシー・ドライバー』や『レイジング・ブル』の脚本、『キャット・ピープル』や『モスキート・コースト』で監督を務めたポール・シュレーダー。

人によって好みはあるかもしれませんが、数多くあるキリスト映画の中でも、なかなか興味深い作品だったように思います。イエスの最後の苦しみに対して、ちょっとしたオチ(というか新しい解釈)を加えていたような…

人が生きていく限り、誘惑からは逃れることは出来ないでしょうが、今回の発見によって、ヘビが神様の怒りであんな姿にさせられたことでないのだけは確かなようです。

ヘビも、草葉の陰、いや地中で密かに喜んでるかもですね。

といっても拍手するには手が無いけど…。

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2006年4月20日 (木)

かくも長き不在

あまり大きく取り上げられていたわけではないようですが、本日の『asahi.com』ニュースでちょっとショッキングなニュースが飛び込んできました。

『旧日本兵が63年ぶりに親族と対面』

私が子供の頃には、あの有名な『小野田さん』が帰国し、世間は大騒ぎしました。

今回は、ウクライナで家族を築き生活をしていたこともあり、あの時とは状況が全然異なりますが、それにしても戦後63年を経ても、まだこういう事が起こるのかと思うと、あらためて戦争の傷跡の大きさを思い知る気がします。

今回帰国された上野さんはすでに83歳。

太平洋戦争に、米ソ冷戦という時代の荒波に翻弄された一生を過ごされたわけですけど、すでに日本語は話せず、ロシア語で『ただ運命だった』という一言は、あまりに重い言葉です。

『戦争』の悲劇が絶えないように、『戦争』を題材にした映画も数多くありますが、

今回ご紹介する映画は

『かくも長き不在』

Photo_8 1960年制作のフランス映画。

監督はアンリ・コルビ、出演はアリダ・ヴァリ、ジョルジュ・ウイルソン。

戦地から夫が帰ってくるのを、ひたすら待ち続ける妻。

彼女は、戦争が終わり、何年も時間が経過してもひたすら夫の帰りを待ち続けます。

ある日、夫と思われる男が妻の前に現れますが、男は妻のことを覚えていません。

男の記憶を必死に呼び戻そうとする妻ですが、やがてそれは大きな悲劇を呼ぶことになっていきます。

この映画には、戦闘シーンは全く出来てませんが、

『戦争の恐ろしさ』といったものを別の側面から描いた名作です。

今回の上野さんのニュースを機に、是非一度観て欲しい作品です。

今回の上野さんの出来事も、映画『かくも長き不在』の出来事も決して過去の出来事ではなく、今尚繰りかえれていることなのですから…

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2006年4月19日 (水)

フィールド・オブ・ドリームス

昨日、日本ハムファイターズの新庄選手が突然の引退声明!

阪神の金本選手や矢野選手、巨人の工藤投手、はたまた現在マイナーリーグで奮闘中の野茂投手など、最近のプロ野球界では30代後半や40歳を超えても、現役にこだわる選手が目立ってきた中では、少し意外な発表でしたね。

これだけは他人が決めれることではないですし、実際、新庄選手のように身体のバネを生かしてプレーするような選手にとってみれば、結構厳しい状況にあったのかもしれません。

記録としては、特に目立った成績をあげたわけでもないでしょうが、俗に言われる『記憶に残る選手』であったことは間違いありませんね。

阪神タイガースでデビューした当時なんかも、なかなか勝負強いバッティングで魅せてくれたし、あの敬遠の球をサヨナラヒットしたときなんか最高でしたねえ。

それからメジャーに飛び出し、最後は日本ハム。

常に話題を振りまいてくれる選手でした。

この『野球(ベースボール)』にまつわる映画というのも本当に色々とありますが、

今回取り上げるのは『フィールド・オブ・ドリームス』。

Photo_7 1989年製作。

フィル・アルデン・ロビンソン監督。ケビン・コスナー主演。

正直、この映画『それを作れば、彼が来る』という神のお告げ(?)のような声を聞いた主人公が、なけなしのお金をはたいて田舎に野球場を作ろうとする…

ある意味でバカげた話。

見方を変えれば、神のお告げを本気にしてバカげたことを試みるバカの話…

でも、何度観ても泣きそうになってしまうんですよねえ。(実際泣いてるかも^0^;)

それは、単に野球が好きな人間の話というより、この映画を観ることで自分の中にも主人公を同じような部分があるのを感じるからなのかも?

人って大人になるにつれて、何か大切なものを見失っていくのかもしれませんし

それって意外と自分の身近なところにあるのかもしれません。

人には人それぞれの『フィールド・オブ・ドリームス』があって、

時にはそれを思い起こすために『心の声』に耳を傾ける必要があるのかも?

日本ハムの新庄選手も、肉体的な限界とは別に

そういう自分の中の純粋なものが失われるのが怖かったのかもしれません…

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2006年4月17日 (月)

耐震偽装事件の裏側

しばらくメディアの話題から遠ざかっていた感のある『耐震偽装疑惑』事件。

本日、木村建設社長ら木村建設幹部の事情聴取が行われたとの報道がなされましたけど、
内容は『業績の水増しや工事代金受領をめぐる詐欺容疑』といったことに関してで
肝心の耐震偽装疑惑とは異なる様子。

なかなか核心の部分に入っていくには時間がかかるんでしょうけど
年明けの頃に比べると心なしか、事件自体が風化を始めているような…

まあ、それもこれも民主党の手際の悪さからきてるのかもしれませんが
一方で問題の本質から視線を外されているような気も無きにしも非ずって感じ。

そもそも、耐震偽装って言うけど、あの事件が昨年の暮れに持ち上がったときから
陰で言われていたのが、『姉歯建築士に関わる個別の問題というより、
建築業界全体に関わる問題なのではないか?』ということ。

一時期、他の建築士が関わった建物の耐震偽装がマスコミで取り上げられたこともありましたが
それも後は全く報道が途絶えた感じ。

私の周りにいる建築業界に関わった人も、
『あんな偽装はどこでもやってる』みたいなことを言ったりもするし
大体、建築基準法の『基準』っていうもの自体が、どこまで確かなのかも怪しい気がする。

阪神大震災が起こる前でも、日本の建物は絶対大丈夫って言ってたのに
結局、阪神高速なんかものの見事に倒れてしまったし…

このあたりのことに関しては、光文社ペーパーバックスの『グッバイ・ゾンビーズ』
(著者;ベンジャミン・フルフォード)にも書かれているので
マスコミの報道を鵜呑みせずに、じっくり考えてみたほうがいいかも?

この事件は、関係者の内部告発のような形で発覚しましたが、
それと同じような話で、実話を元にして作られた映画が
マイケル・マン監督、アル・パチーノ、ラッセル・クロウ出演の『インサイダー』。

Photo_6 この映画では、タバコ業界を舞台にして、
テレビ番組のプロデューサーと内部告発者が業界の圧力と戦いながら
真実を告発していく姿が描かれますが、
どんな業界であっても、自分の生活を犠牲にして真実を告発するというのは、並大抵のことではないですもんね。

誰だって平穏に生きていたいと思うし、何もわざわざ今の自分の家庭を犠牲にしてまで
真実を告発したいとは思わないし、嘘の中で生活をするほうが楽なことも多いのが現実。

でも、耐震偽装事件以外にも、アスベストの問題、ライブドア事件、BSEに関わる牛肉の偽装事件などなど…ちょっと、バレなきゃイイみたい事件が多すぎる気がしますよねえ。今さえ良ければ、イイといった感じが今の時代の空気として蔓延しているような…

なかなか難しいことですが、そんなときこそ一人一人の人間が『ウソはウソ』『ダメなものはダメ』と言える『当たり前の勇気』をもたないといけないのかもしれません。

映画『インサイダー』の主人公のような状況は、いつどこで誰に起こるか分からないのですから。

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2006年4月16日 (日)

現代も生きるヴェニスの商人?

先日14日に、金融庁が消費者金融大手のアイフルの業務停止を発表しましたけど、
全店舗1700店を対象に、最大25日間の業務停止という異例の措置。

確かに新聞を読んでるとテレビCMのイメージと違って
かなり強引な取立てをしてたみたいで、当然と言えば当然の措置のようにも思いますが
今の世の中、何が本当なのかホンマ分かりませんよね。

でも、『金貸し』に関するトラブルというのは、
この世の中に貨幣経済が生まれてから、
いつの時代でも起こってきたことなのかもしれません。

金貸しに関する有名な物語はなんと言っても、
ウィリアム・シェークスピアの『ヴェニスの商人』でしょうか?

昨年、映画でも公開されましたよね。

Photo_5


監督・脚本がイル・ポスティーノのマイケル・ラドフォード。
出演は、アル・パチーノ、ジェレミー・アイアンズ、ジョセフ・ファインズ…

この物語の内容に関しては、多くの方がご存知だと思いますが
簡単にサワリの部分をお伝えすると…

舞台は16世紀のヴェニス。
当時のヴェニスはヨーロッパ貿易の中核の街として栄えていたものの、
ユダヤ人は土地を持つことも許されず、ゲットーと呼ばれるエリアに隔離されているような状態。

金貸し業を営むシャイロックもそんなユダヤ人の一人で
日ごろ多くの屈辱を味わう日々を送っています。
その一方で、貿易商としての生活を送るアントーニオ。
対極の人生を送る二人でしたが
アントーニオが友人のために金を工面することになったところから
二人の立場が思わぬ方向に向かっていきます…

さて、このお話の中で、金貸しのシャイロックは、
アントーニオに金を貸す条件として、3ヶ月以内に金を返せなければ
『アントーニオの肉1ポンドをもらう』
という人間とは思えない要求をつきつけます。

最初にこの物語を本で読んだときは
『なんて卑劣なヤツ』
と思ったものですが、もう少しこの男の立場になって考えてみれば
ユダヤ人として屈辱的な日々を送り、妻を失い、挙句の果ては娘も財産をもって駆け落ち…

行った行為は許せるものではないですが、
心情的には『人間の弱さ、脆さ』を感じるところがありますよねえ。

アイフルの場合は、シャイロックの場合と異なると思いますが
どちらにせよ、『金や富に対する人間の弱さ』がその背景にあるのかもしれませんね。

ということは、この事件はアイフルという『個別の会社の問題』というより
いつ誰にでも、どこでも起こりうる
『私たちの心の奥の中の問題』なのかもしれません…

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2006年4月15日 (土)

ライブドア上場廃止…嗚呼、人生大逆転

昨日(13日)、とうとうライブドアが株式相場から姿を消しましたね。

異常なほどの株券を発行していたお陰で、恐ろしい数の人が被害にあっている上に、
株券の印刷にこれまた莫大な金額がかかるようで、
あらためてその影響の大きさを思い知らされます。

しかし、こんなことを今年が始まるときに誰が想像したでしょう?本当に。

そもそも、ライブドアって何だったんでしょうね?

今の時代を良くも悪くも象徴しているのかもしれませんし、
そういう意味でも堀江氏は時代の寵児だったかも?

ほんの2年前までは、ライブドアって会社をほとんどの人が知らなくて
一昨年の夏に近鉄バッファローズの騒動で一躍名前が出てきたかと思ったら
昨年はフジテレビの買収、挙句の果ては衆議院選挙への出馬…

ホリエモンこと堀江氏は今でも無実を主張しているようですが、
彼は拘置所の中で今、何を考えているんでしょう?

民主党永田議員のメール事件といい、
色々と胡散臭い話が出てくるライブドア事件ですが、
ホリエモンは一体どこまで把握してたんでしょう?

ひょっとしたら、彼自身も黒幕のコマの一つにしかすぎないのかも?

このライブドア騒動で、フト頭に浮かんだのが
ジョン・ランディス監督の『大逆転』という映画。
Photo_4

この監督は、あの『ブルース・ブラザース』や『星の王子様ニューヨークへ行く』
でも知られるコメディーを作るのがうまい監督さんですが、
この『大逆転』という映画もなかなか面白い映画です。

出演はエディー・マーフィーとダン・エイクロイド。
エリートビジネスマンと詐欺まがいの生活で生計をたてている貧乏青年の二人が
性悪な金持ちの兄弟の賭けの対象となり
エリートビジネスマンと貧乏青年の立場を逆転させられてしまうというコメディー映画。
(なかなか脚本も良くて、面白い映画なので、ちょっとオススメです。)

話の筋書きはライブドア騒動と異なりますけど、
もし急に自分の置かれている環境が一気に変わり
立場が全く入れ替わってしまったら…

それを考えると、ちょっと怖い感じがしますよね?
そういえば、カフカの小説でも、そんな話ありましたっけ。

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2006年4月13日 (木)

ドラキュラ城が子孫に返還!?

本日はちょっと唐突なタイトルですが、
これは嘘のようで本当の話。

本日付の毎日新聞WEBサイト記事によると
吸血鬼ドラキュラのモデルと言われるルーマニアの英雄ブラド公ゆかりの城『ブラン城』が
4月中にも同国の政府から、元王室の子孫で現米国在住の男性(68歳)に返還されると
オーストリア通信がルーマニア政府当局の話として伝えたそうです。

その記事によると、ブラン城は14世紀頃に建てられましたが
共産政権時代に没収され、現在は博物館として観光名所となっているとか。

返還後も3年間は、博物館として一般公開されるそうなので、
興味のある方はこの機会に行ってもよいかも?

しかし、このドラキュラというか吸血鬼は、いまだに映画化やアニメなどにも数多く取り上げられ、人気がありますよねえ。

これって何故なんでしょうね?

狼男やフランケンシュタインなんかに比べると
ルックスや頭もよくて、神出鬼没なところや、人の血を吸うだけでなく
血を吸われた人間も吸血鬼になってしまうという設定がよく出来ていることもあるでしょうが
どこか悲しい感じも与えますよねえ。

吸血鬼を取り上げた映画といえば本当に数多くありますが、その中でも有名なものといえば
テレンス・フィッシャー監督、クリストファー・リー主演の『吸血鬼ドラキュラ(1957年)』
ブラム・スPhoto_1トーカーの原作をカラーで映画化した作品として有名でしょうし、
一般的に古いドラキュラ映画で取り上げられるのも、この作品かもしれませんね。

もっと古いもので有名なものとしては、
巨匠F・W・ムルナウ監督の『吸血鬼ノスフェラトゥ(1922年)』。
この映画の吸血鬼はクリストファー・リーのドラキュラと違って
とにかく見た目も不気味。

このときの吸血鬼があまりにも怖くて、主役のマックス・シPhoto_2ュレックがひょっとしたら
本当の吸血鬼ではなかったのか?という噂が生まれるほど。

そして、そんな噂をもとにして作られたのが
監督E・エリアス・マーヒッジ、主演ジョン・マルコビッチの『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』。
この映画は2000年に製作されましたが、なんといっても怖いのが
マックス・シュレック役のウィリアム・デフォー。

ほんまに怖い。

Photo_3監督役のジョン・マルコビッチもハマッテましたが
なんかこの映画を観ると、噂が本当のように思えてきます。

他にも、ニール・ジョーダン監督、トム・クルーズ、ブラッド・ビット主演の
ご存知『インタビュー・ウイズ・ヴァンパイア(1994年)』や
フランシス・F・コッポラ監督、ゲイリー・オールドマン主演の
『ドラキュラ(1992年)』などなど。

最近では、ちょっと変わりタネとして
レン・ワイズマン監督、ケイト・ベッキンセイル主演の『アンダーワールド(2003年)』や
スティブン・ノリントン監督、ウエズリー・スナイブス主演の『ブレード(1998年)』と
まだまだ元気です。

ブレードなんか続編が2本も出来たぐらいですもんね。

今尚、これだけの映画を生み出すキャラクターというのはスゴイ。
版権もってたら、それだけで大金持ちです。^0^

これだけ人の心の中に生き続けるというのは、
やはりドラキュラは不死身なのかもしれません…おおコワっ。

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2006年4月11日 (火)

雨、羅生門、映画は頭でなく心で観るもの

私の住む大阪は今日も昨日に引き続きの雨。

Blog_003 今週はまるで梅雨のように雨の日が続くようですが
この時期は一雨ごとに草木も緑を取り戻していくのかと思うと
まあこれも恵みの雨ですよね。

その『雨』で頭に浮かぶ映画といえば、みなさんそれぞれおありでしょうが
私は日本が世界に誇る巨匠、黒澤明監督の『羅生門』です。

Photo この映画は1950年に公開され、日本公開当時は全くの不評!
しかし、その後イタリアフィルム社のストラミジョリさんに見出され
1951年のベネチア映画祭でグランプリを獲得、
翌年のアメリカアカデミー賞では外国映画賞を受賞しました。

さて、この映画が日本で公開された当時は全くの不評とお話しましたが
その理由としては、『難解』『結末がよく分からない』といったことであったようです。

確かに、この映画は一見すると分かりにくい。

原作は芥川龍之介の『藪の中』というお話で一つの出来事に対して四つの解釈が示され、どれが本当なのかということも示されません。

これはある意味で観客にとっては、不親切のように思えますし
『難解』『意味不明』と言われても仕方無かったかもしれません。

では、どうしてイタリア人のストラミジョリさんがその作品性に惚れ込み
ベネチア映画祭でグランプリを獲得するまでに至ったのでしょう?

この映画は、今でも外国人が黒澤監督の代表作として、必ずあげる作品の一つなのですが、

それは思うに、ストーリー展開の分かりやすさといった『頭で理解する部分ではなく』
その映像美が伝える『目で見て感じる部分』にあるのではないでしょうか?

最初に『雨』で連想する映画として、この作品を取り上げましたが
この映画は、ものスゴイ勢いで降りつける雨の中を
一人の男が半壊した羅生門に雨宿りをしに来るところから始まります。

その雨の表現の仕方がまずスゴイ。
半端じゃありませんよ。本当に。

時代は平安。

激しい雨の中、雨宿りをするために一人の男が羅生門の下にやって来ると
何かに心を奪われたような表情でいる旅の法師と杣売(ソマウリ)に出会います。
二人は、『私は人間が信じられない』と口々につぶやき、

上田吉二郎扮する下人は、雨宿りの退屈しのぎに、面白がってその話を聞きだすところから映画が始まります。
(注;杣売とは、山に植えた木を伐採して売る人のことで、簡単に言うと木こりのことです。)

激しい雨と半壊した羅生門が
旅の法師と杣売、それに下人の心をも映し出すかのようです。

そして、杣売の回想シーンに映画が切り換わると
今度は一転して、ギラギラと輝く夏の太陽に照らし出された森の中が映し出されます。

そのコントラストが見事なのですが、
黒澤監督もこのあたりはかなり意図的に演出をされたようで
当時は主流となっていたトーキー映画でありながら
サイレント映画のような映像美をかなり意識された様子。

このあたりは、故淀川長治先生のかなり受け売り的なところもあるのですが、
でも本当に、この映画は『目で楽しむ』ことが出来る素晴らしい映画です。

それが逆に、言葉が通じない外国人のほうが理解しやすかったのかもしれませんし、
特に、美意識の強いイタリア人には刺激的だったのかもしれません。

昨日、ご紹介したチャップリンの『街の灯』同様に、
つくづく映画は『映像で語る』ことが大切であると教えられる作品です。

また、この作品は戦後の日本人にとって勇気を与える作品となったと同時に
世界中の映画人にも多くの影響を与え、リメイクや舞台化もされました。

リメイクでは、ポールニューマン主演の『暴行』や邦画の『ミスティ』が有名ですが
チャン・イーモウ監督の『ヒーロー』も、羅生門的なストーリー展開でしたよね?

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2006年4月10日 (月)

船出

いよいよ本日から、ブログを始めることにしました。

私も今日からブロガーということになるのでしょうか?

ブログのタイトルで『シネマカフェ』とありますが、実は私、12年ほど前に働きながら映画の専門学校に通い映画の勉強を始めてから、今でもちょっとした短編映画を撮影したりしてるんですけど、このブログでは自分の好きな映画の話を交えながら、日々の身の周りの出来事も綴っていければと思います。

さて記念すべき第一回目の作品ですが、非常に悩むところ。

よく『好きな映画』が話題になりますけど、これが難しい。

だっていっぱいありますから。

そんな中でも、選ぶとしたら、やはり喜劇王チャップリンの映画でしょうか?
え?古い?

そう!確かに古い。
だって、サイレント映画から活躍していた方ですからね。

でも、今のハリウッド映画などを観ていると思うんです。

確かに特撮の技術はスゴイの一言だし、まさしく非日常の世界。
チャップリンの時代でなくても、ほんの十年前、いや5年前でも想像出来なかったような映像が当たり前のように出てきますからねえ。スゴイもんです。

でも、なぜか心が満たされない感じがするのは私だけでしょうか?
映画の技術が発達し、莫大なお金をかけて作品が作られるようになった一方で
何か大切なものを忘れてるような気もします。
そんな大切なものを思い出させてくれ、映画とは何か?をあらためて考えさせてくれるのがチャップリンの作品のように思います。

少々前置きが長くなってしまいましたが、そのチャップリンの映画の中でも僕が大好きな映画の一つ。

それは『街の灯』。

City_light

この映画、今から70年以上も前に撮られたサイレント映画ですが、時代はサイレントからトーキー(音声の入った映画)へと変わり始め、チャップリンがそんな時代の流れに抵抗するかのように作られた渾身の一作と言えます。(その苦悩ぶりは、映画『チャーリー』の中でも紹介されてますので、興味のある方はそちらもどうぞ。)

この映画は、貧しい放浪の紳士チャップリンが金持ちの気まぐれに翻弄されながらも、目の見えない花売りの娘へのほのかな恋を募らせる話ですが、この映画を観てつくづく思うのが、『映像で語る』ということへのこだわり。

この映画はサイレント映画ということでお伝えしましたが、通常なら『セリフが使えない』ということで表現の幅としては狭くなると考えられるところを、あえてチャップリンは『セリフが無いからこそ表現できること』にこだわっているのがよく分かります。

セリフがあることが当たり前のように思っている今の僕らにとってみれば、『目から鱗』のような映画。

そのチャップリンのこだわりを感じさせるシーンとして有名なのが、映画『チャーリー』でも紹介されていたシーン。『目の見えない花売りがチャップリンを金持ちであると勘違いさせる』のに、セリフを使わずにどうやって表現するか?一見、なんでもないシーンのように思いますけど、これを思いついたチャップリンはやっぱりスゴイ。
そうかと思うと、冒頭のシーンではおエライさんのスピーチにわざと変な音声を使うことで、おエライさんのスピーチに内容が無いことを皮肉ってみたり。

そして最後のシーンが印象的。

花売りの娘と再会したチャップリンの喜び。
目の見えるようになった娘が、みすぼらしい姿のチャップリンは自分の恩人であることに気づくシーン。
今の映画ならセリフで表現しようとしてしまうところを、あえて表情と間合いで観る人の心に訴えてきます。

技術が発達してしまうと、ついつい忘れてしまう当たり前のこと。

そもそも映画とは何なのか?ということを、今なお問いかけてくれる名作の一つです。

ちなみに、チャップリンの映画を紹介したからといって、決してお爺さんではありませんので。

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