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2006年7月27日 (木)

イルマーレ~なめるな!ハリウッド~

前回のブログでは、劇場公開中の映画『ダヴィンチ・コード』について書きましたが、今回は、その時に予告編を見た映画『イル・マーレ』。

と言っても、こちらはオリジナル。Photo_35

2001年の韓国映画。

監督は、イ・ヒョンスン。脚本がヨ・ジナ。

出演は、イ・ジョンジェに『猟奇的な彼女』で有名なチョン・ジヒョン。

イル・マーレ(イタリア語で『海』という意味)と名づけられた海辺の一軒の家を一人の女性ハン・ソンヒョンが出て行くところから映画は始まります。

彼女は最後に一通の手紙を赤い郵便受けに入れて、家を出て行きます。

クリスマスが近づいてきたある日、大学生である一人の青年ム・ウンジュは、新しく引っ越してきたばかりの家が気に入ったようで、家の前に『イル・マーレ』と書いた看板を立てます。そして、フト目にとまった赤い郵便受けの中から一通の手紙を取り出すのですが、それは『以前に住んでいた女性(ハン・ソンヒョン)』から彼に手紙の転送を頼んだものでした。

一方、次の住人に手紙を送ったソンヒョンは、送られてくるはずであろう彼氏からの手紙を待っていますが、一向にやって来ません。クリスマスが近づき、活気づく町とは対象的に一人寂しい思いをするソンヒョン。

ウンジュはもらった手紙のことが気になり、大家にこの家の前の住人のことを尋ねますが、この家は『1ヶ月前に新しく建てられたばかり』だと聞かされます。

彼氏からの手紙を待つソンヒョンは、思い余ってイル・マーレを訪ね、郵便受けを覗き、大家に次の家の住人が決まったかどうかを聞きますが、『次の家の住人はまだ決まっていない』と聞かされます。

そして、ソンヒョンはあるとき、彼女の手紙を受け取ったウンジュから一通の手紙を受け取ります。その手紙には確かに、ソンヒョンから手紙を受け取ったことが書かれているのですが、『彼は彼女の次の住人ではない』ということと『今は1999年の12月ではなく1997年の12月である』と記されています。

互いに不審に思う二人。

そこから二人の奇妙な文通が始まっていくのですが、お互いが2年の時を隔てて生きていることを理解し始め、そして互いへの思いを募らせていき、遂に彼女にとっては1週間後、彼にとっては2年後の同じ日、同じ時間、同じ場所で会うことを約束するのですが…

ややもすると話の設定からして、奇をてらったような映像を使いたくなりますが、特別なSFXを使うわけでもなく、シンプルで美しい映像構成で丁寧に作っているところが、韓国映画らしく好感がもてます。

それに、こういう設定だと途中で段々分かりにくくなってしまうところを、セリフで逃げるのではなく、あくまで映像で丁寧に表現しているところもGOOD!です。

韓国の恋愛映画は、昔のハリウッド映画でよくあったようなシンプルなものが多いですけど、骨がしっかりしているというか、小手先で作ろうとしてないところが素晴らしいです。

女性には受ける映画ではないでしょうか?本当にロマンチック。最後は、意見が分かれるかもしれませんけど…

それにしても、最近のハリウッド映画のリメイクには大概にしてほしいですよ。基本的に僕はリメイクを評価しませんけど、何十年経って、新しい解釈で制作するならともかく、ハリウッド映画のリメイクって、つい最近のアジアとかヨーロッパでいいネタの映画を、キャスト変えるだけで作るのがホンマに多いですもんね。

昔、ハリウッドのプロデューサーの講座に出席したことがあって、その時の話を聞いて思いましたけど、彼らは良くも悪くも『商業主義』。商業主義が別に悪いわけではないと思うんですけど、今は『金儲け主義』というか、なんでも安易に作ろうとしていることがミエミエ。

それに、『ほらハリウッドが作れば、こんなにスゴイよ』って、なんかバカにされてるみたいですわ。オリジナルに対しての敬意を全然感じない。

彼らに言わせれば、日本映画『シャル・ウイ・ダンス』のリメイクの時でも、敬意を表してオリジナル通りに制作したってことですけど、それならわざわざリメイクを作るな!って言いたい感じですよ。

ホンマに腹が立つというか、調子に乗るな!って感じです。

この映画は、キアヌ・リーブスとサンドラ・ブロックのリメイクで公開されますが、予告編を見る限り、ほとんど同じのストーリーのようです。

韓国映画のままでイイのに。

韓国人の素朴さがあるから、この映画は味があると思うんですけどね。

あ~あ、ホンマに腹が立つ!!

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2006年7月22日 (土)

ダヴィンチ・コード~真実とは?~

今日は、初めて公開中の劇場映画について。

と言っても、公開後2ヶ月ほど経過した作品ですが…(^_^;

そう、あの『ダヴィンチ・コード』を今頃になって観て来ました。

Photo_34 世界中で大ヒットし、4900万部というとてつもないベストセラーを記録している小説の映画ですし、いたるところで宣伝されていたので、多くの方がご存知でしょうし、劇場で観た方も多いのではないでしょうか?

監督はロン・ハワード。最近では、以前にこのブログでも紹介した『シンデレラマン』で監督をしていた人です。

出演はご存知トム・ハンクスやジャン・レノの他に、『アメリ』のオドレイ・トトゥ、『ロード・オブ・ザ・リング』のイアン・マッケラン、『スパイダーマン2』のアルフレッド・モリーナという豪華キャスト。

僕は、あえて先入観を持たずに映画を楽しみたかったので、小説を読まずに映画を観させてもらいましたが、過去に例を見ないほどの超有名な小説の映画化は本当に大変だったと思います。

小説を元に映画を作ることは昔から行われていることですが、これだけの話題作を映画化したのは、そう無いのではないでしょうか?

それだけに、映画を観た人の感想は賛否両論でしょうね。

小説を読んだ人には、それぞれのダヴィンチコードのイメージがあるわけですし、根本的に映画と小説というのは似ているようで、実は全く違う表現形態といってもいいぐらいなので、本当なら、映画化する場合でも、映画としてのオリジナリティーをもたせるぐらいのつもりがうまくいくと思うんですが、今回ばかりはそういうわけにもいかなかったでしょうし…

本作は、まもなく公開を終えるのだろうと思いますが、簡単にストーリーをお伝えしておくと…

夜のルーブル美術館で、館長が謎の修道士に殺されるところから映画は始まります。しかも、その死体はレオナルド・ダ・ヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』を模倣した形をしており、謎の暗号も残されています。

主人公のラングドンはハーバード大学の教授ですが、講演中にフランス司法警察から、捜査協力という目的で呼び出されます。

しかし、現場検証を手伝うラングドンの目の前に館長の孫娘で暗号解読官と名乗る女性ソフィーが現れ、ラングドンが実は警察に疑われていることが告げられます。

警察の追跡から逃れながら、館長が残したダイイングメッセージを手がかりに、事件の真相を追い求めるラングドンとソフィー。

と、まあ大半の人は、ストーリーをご存知だと思うので、あらすじの紹介はこれぐらいにしますが、この映画は、本当に情報量が多い!

謎を解く鍵となるダヴィチの絵画はもちろんのこと、十字軍とテンプル騎士団の歴史、キリストにまつわる伝説、シオン修道会などなど、事前に小説を読んでないと、東洋人で、しかもキリスト教にかかわりの少ない日本人にとっては、少々、映画の世界に入るのに手こずりそうな内容。

でも、そういう膨大な情報量の素材に対して、ややもすると知的に偏りすぎたり、情報量の多さで映画の動きが鈍くなるところを、多くの人が映画の世界に入れるように『ミステリー』と『アクション』の要素をうまく取り入れてたように思います。

逆に、もう少し、アクションを抑えたほうがいいんじゃないの?とも思ったりしましたが、小説を読んでない僕が思うに、この作品の良さというのは、『知的な要素と娯楽性のバランス』なのではないか?と思うので、これはこれで楽しめ、好感が持てるように思いました。

ただ、ネットの批評記事にも書いてあったんですが、トム・ハンクスの髪型は確に???って感じでしたけどネ(^_^)

小説を先に読んでいて、小説への思い込みが強い人は、『面白くない!』と思ったかもしれませんね。実際、カンヌ映画祭で公開された直後の、ある批評を読んでると、『最悪の出来!』って書いてました。

(ちなみに隣の席で座ってた女の子も、『やっぱり、小説のほうが面白かった。小説読んでなかったら、全然分からなかったかも?』って言ってましたけど(^_^;)

それにしても、この映画を観て思ったのが、キリスト教の影響力の大きさというか、世界史におけるその存在感というのが、とてつもないということ。

2000年以上前の一人の男を巡って、今尚、これだけの話題性があり、人々に影響を与えているのですから。

イエスは神なのか、人間なのか?

キリストの教えとは?

実は、日本もキリスト教の影響を非常に受けていて、僕達が知っている日本の仏教は、多分にキリスト教的で、キリスト教の影響を多分に受けているという説もあるんですよね。(この辺りのことは、光文社の『失われたアイデンティティー(ケン・ジョセフ著)』に詳しく書かれているので、興味のある方は一度読んでみてください。)

今となっては、何が真実なのか?は分かりませんが、大切なのは、人々が先入観や固定観念から少しでも抜け出して、自分の心で何を感じ、判断することが出来るか?ということのように思います。

この映画に登場する『謎の修道士』のように、『神』の名のもとに、人を殺してもそれを罪と感じることが出来ない…それって、やはりおかしいことですよね。

神とか宗教がどうとかこうとか言う前に、人として当たり前に感じる感覚。それが一番正しいのでは?

『神』や『正義』の名の下に、今尚世界中で繰り広げられる争い。

それから抜け出すには、そういった一人一人の心の中にある『人としてごく自然な感覚』が大切になってくるのかもしれません。

もちろん、今の中東戦争や多くの争いというのが、単に宗教の問題で起こっているのではなく、『憎しみ』や『欲望』という、『人の自然な感覚』が生み出しているという一面もあるのですが、聖書や聖杯、神といったことに囚われたり、そこに何かを求めるのではなく、自分の心の中に真実を求めることが大切なのかもしれません。

レオナルド・ダ・ヴィンチの暗号の真相も、今となっては分かりませんが、レオナルドは、すごく自然を観察する人であり、芸術家というより、科学者としての目を持った人でもあったので、先入観や固定観念に囚われず、自然な視点で周りのものを見る大切さというものを、後世の人々に伝えたかったのかもしれませんね。

そんなことを考えさせてくれる映画でした。

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2006年7月21日 (金)

フライト・プラン~9・11後の世界へのメッセージ~

Photo_33 フライト・プラン

2005年のアメリカ映画。

監督はロベルト・シュベンケ。

出演は、ジョディ・フォスター、ピーター・サースガード、ショーン・ビーン。

この映画は、最近レンタルを開始されているので、観た人も多いかもしれませんね。

映画のポスターや予告でも触れられているように、この映画は飛行中のジャンボ・ジェット機から娘が行方不明になり、しかも乗員、乗客全てが娘の存在を否定するというミステリー映画。

映画のオールド・ファンなら、アガサ・クリスティー原作の『オリエント急行殺人事件』を思い浮かべる人もいるのでは?

主人公は、飛行機の女性設計士(カイル)。

冒頭のシーンでは、カイルが無人の駅のベンチで一人虚ろな表情をして座っているところが映し出されます。何かを思い出しているような表情。

霊安室のようなところに連れて行かれるカイル。

駅のベンチで座っているカイルに手を差し出す一人の男。

霊安室に連れて行かれたカイルの目の前には、棺の中に横たわる男。それは駅のベンチでカイルに手を差し出した男です。

カイルは駅から男と二人で電車に乗り、やがて家に帰りますが、家に戻るといつの間にか男の姿が無く、妄想であったことに気づきます。

やがてカイルは娘のジュリアとベッドで眠りにつきますが、何者かの視線を感じ、窓の外に目をやると向かいの部屋から怪しげな二人の男が、カイルたちの部屋を見ているのが見えます。

冒頭から、画面全体が不安な雰囲気を醸し出します。

実は駅でカイルに手を差し出し、棺の中で横たわっていた男は、カイルの夫なのですが、1週間ほど前に不慮の事故で亡くなってしまったのです。

失意に暮れるカイルと娘のジュリアは、アメリカの祖父の家に向かうために、ドイツの空港から旅立ちます。

カイル自身が設計したジャンボジェット機に乗った二人ですが、離陸して数時間後に、カイルがうたた寝から目を覚ますと横に座っていたはずのジュリアの姿がありません。

慌てて機内を探すカイルですが、とにかくこのジェット機がデカい!

まるでタイタニックのような大きさ!その上、400人の乗客。

さすがに機内を知り尽くしたカイルでも、娘を見つけることが出来ません。

カイルは乗員に娘の居場所を尋ねるのですが、全く見当がつかず、それどころか、最初から娘の姿さえ見たことが無いとまで言われてしまいます。

娘の存在を懸命に主張するカイルですが、持っていたはずの娘のチケットも紛失し、乗客名簿にも娘の名前が無いと伝えられます。

周りの席に座っていた乗客に尋ねても、娘を見たことが無いと言われてしまいます。

娘の存在を主張すればするほど、機内で孤立していくカイル。やがては、狂人扱いまでされてしまい、精神的にも追い込まれていきます…

そもそも本当に娘は存在したんでしょうか?

そう言えば、この映画の冒頭から、どこか謎めいていたのが思い出されます。

さて真相は…

これ以上は、まだ観ていない人のためにお伝えしませんが、この映画はスタイルとしてはミステリー形式をとっているものの、実は、あの9・11テロ以降の現代社会へのメッセージが核となっているようです。

あまり詳しくは、タネ明かしになるので書けませんが、『9・11テロ以降』というのが鍵になっているのが、映画のところどころで分かります。

アメリカの航空業界では、飛行機の安全を確保するために必ず一人の保安官が乗員するようになっており、特に9・11のテロ以降は、乗客名簿の数と実際の数が異なる場合は、機内を一斉捜査し、場合によっては緊急着陸を行うようになっていることなどが、この映画のストーリー展開にも大きく関係してきます。

それにしても、ジョディ・フォスターの主演はハマリ役のように僕は思いました。あの人って、見るからに『神経質そう』ですし、でも『知的』であると同時に『意思の強さ』も感じるところが、この映画の展開には効いてる感じです。

そろそろお盆休みも近づき、今年は海外に行かれる方も多いかもしれませんが、その前に一度観てみてはどうでしょう?

旅行中は、くれぐれもお子さんが迷子にならないように、気をつけて下さいね。

追伸

以前にご紹介した黒澤監督の『椿 三十郎』ですが、来年の公開予定でリメイクされることが決定したそうです。監督は森田芳光、主演は織田祐二、製作総指揮は角川春樹だとか。う~ん、なかなかの名作なので、リメイクは大変だと思いますが、単なる話題作りの映画ではなく、しっかりした脚本で作って欲しいですね。

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2006年7月17日 (月)

ヒトラー最期の12日間~独裁者の最期~

先日、国連の安保理事会で北朝鮮に対する非難決議が採択され、サミットにおいても北朝鮮のミサイル問題に関しての声明が発表され、表面的には北朝鮮包囲網ができつつあるように見えます。

でも、これはあくまでマスコミ報道されてる部分でしかないですし、ましてや国際政治の舞台ではすべてが駆け引きともいえるので、まだまだ予断は許さない感じです。

普通に考えれば、いくら実験とはいえ、ミサイルを7発も発射すれば、いくらなんでも世界中が非難することは分かってたでしょうし、今回の行為が逆にアメリカを本気にさせるリスクもあることぐらいは読めてると思うんです。

それでもミサイルを発射したのは、実はロシアや中国もあらかじめ知ってて裏では協力しあってるかも?

表面的には、中国が懸命になって北朝鮮の説得をしてるような動きになってますけど、あれって結構フェイクだったりして?

少なくとも、ミサイルを発射させることは無かったとしても、十分それを政治的に利用してる可能性はありますよね。

中国にすれば、ここで北朝鮮を交渉のテーブルにつかせることが出来れば、かなり国際的に得点は高いし、しかも今はサミットの開催中なので、それこそ『やっぱり中国は欠かせない存在』と思わせることも出来る。(実際、今回のサミットには中国の胡錦濤主席も招待されてましたが…)

北朝鮮にしたら、かなりきわどい戦術ではあるけど、アメリカがイラクやイラン、イスラエルのことで手が一杯のこの時期にたたみかけるのは、有利な条件を引き出せる可能性がある。

ロシアは経済的にも中国との関係を強めてるし、アメリカの力を落とせるのであれば、喜んで中国に協力するだろうし…

そうやって考えると、実は日本だけが一人で騒いでるだけで、中国やロシア、アメリカといった国々にうまく使われてるだけなのかも?

でも一方で考えられるのが、やはり北朝鮮内部の混乱から生じてる可能性。

軍部の強硬派が先走ってる場合もあれば、金正日総書記の何かが狂い始めてるのかも?

いよいよ北朝鮮の内部で何かが起こり始めてるサインなのかもしれません。Photo_32

『ヒトラー~最期の12日間』というドイツ映画をご存知ですか?

2004年制作で監督は『es』で有名な、オリヴァー・ヒルシュビーゲル。

主演のヒトラー役はブルーノ・ガンツ。

この映画はタイトルどおり、ヒトラーの最期の12日間を、実際に秘書として勤めた女性の手記をもとに作られた作品です。

第二次大戦もいよいよ佳境を迎えた1945年のベルリン。

戦況はドイツにとって日増しに悪くなっていきます。そんな中で、憧れのヒトラーの秘書として採用されたユンゲですが、彼女は次第に崩壊していくナチス政権とヒトラーの姿を目にしていくことになります。

悪化する戦局を現実的に打開するべく作戦を提案する部下に対して、激しくどなりながら、ただ自身のカリスマにものを言わせ、意味も無い作戦の指示を出すヒトラー。

そのヒトラーの姿に戸惑い失望すると同時に、ナチスの最期を悟り、自分だけでも逃げ出そうとする者、ヒトラーの反発を買うことを恐れ、ただヒトラーの指示に従うだけの者、ヒトラーに反発されながらも苦言を呈し、ヒトラーから遠ざけられていく者、ヒトラーを信じ、ヒトラーと最期を共にする決意を固める者…

そして、いつしかナチスの地下要塞では、酒浸りになる兵士たちや連日連夜パーティーに浮かれる首脳たちの姿が見られるようになります。

これは、ナチスだけではなく、日本も戦争の末期はそうだったと思いますが、自分たちの勝利を信じるというよりも、根拠無き願望があまりに大きくなりすぎ、現実とかけ離れていくと、人ば現実に対して盲目になり破滅的になっていくのかもしれません。

今の北朝鮮を見ていると、ひょっとしたらそういう時期に入り始めたのかもしれないとも思い、それは周りの国々にとってみれば、これほど怖いものはないことですよね。

自暴自棄になった国ほど怖いものはありませんし、ヤクザでも相手を威嚇してるときはまだ正気なのでいいんですが、一度刃物を使うことを覚えてしまうと、これほど扱いにくいものはありません。

国際政治はなかなか権謀術数渦巻く世界でもありますが、これを機に、アジアの情勢にも目を向けていかないといけないなあと思います。国際紛争は良くないことですが、あまりにも今までの日本人は周辺の国との関係構築を放ったらかしでしたから、国防面も含めてもっと目を向けて自分たちで考えていかないといけませんね。

ちなみに、ヒトラーの最期には諸説があって、一応愛人と自殺したことにはなってるのですが、連合軍が現地に踏み込んだときには、ヒトラーと愛人エヴァの死体らしき黒焦げになった遺体を見つけたんですが、その鑑定結果には未だ疑問を感じている人も少なくないようです。そのために、ヒトラーは実は死んでいなくて、Uボートでエヴァと一緒に南米に脱出したという説もあるぐらい…

又、先日ご紹介した『博士の異常な愛情』の中で、怪しげな科学者がドイツ人の設定であったことをお伝えしましたが、第二次大戦末期の米ソはドイツのもっていた科学知識をなんとか手にしたくて、科学者を自分たちで囲い込んだり、研究文献を必死で集めてたんですよね。

実際、その後の宇宙開発で米ソが中心になったのは偶然でも何でもなくて、ドイツからの科学者の力はかなり影響していたようです。

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2006年7月14日 (金)

博士の異常な愛情~核の抑止を真面目に考える人間の滑稽さ~

先週の7月5日に北朝鮮が日本海沖に発射した7発のミサイルの対応を巡って、連日のように報道がなされ、いくら実験とはいえ、隣国から放たれるミサイルというものが現実味を帯びてきたようで、悪い方向に進まなければいいのですが…

隣国から放たれるミサイルの脅威に世界中が恐怖に怯えたものといえば、映画『13days』でも有名な1962年の『キューバ危機』がありますが、それから40年以上が経過した今も尚、核の恐怖からは逃れられないようですけど、一方で、どこかそういう異常な世界に自分の気持ちが慣れてしまったような…なんか、それが一番恐いように思えてきます。

そんな自分の気持ちを、あざ笑うかのような作品が、この映画です。

Photo_31 映画『博士の異常な愛情』は、キューバ危機やベトナム戦争といった冷戦の真っ只中の時代、1964年に生まれたブラックコメディー。

監督、脚本は巨匠スタンリー・キューブリック。出演はピーター・セラーズ、ジョージ・C・スコット他

キューブリック監督は、2001年宇宙の旅で有名だと思いますが、あの映画でも音楽の入れ方がなかなかユニークでしたけど、この作品も同様に音楽の入れ方が面白いです。

映画は、ある米軍空軍基地のリッパー将軍なる司令官から、同じ基地のマンドレーク大佐に『R作戦』なる指令が出されるところから始まります。

空軍はソ連からの不意打ちを防ぐために、常にB-52爆撃機が核爆弾を搭載して上空を飛んでいましたが、それらの爆撃機にも、この指令が伝えられます。

最初は何かの間違いだと思う爆撃機のパイロット達。

それもそのはずです。この指令は、『核爆弾をソ連に投下しろ』ということなのですから。

基地に問い合わせるパイロット達も、やがてそれが本当であることを知り、爆撃機34機は核爆弾を搭載して、ソ連に向かい始めます。

そんな中、タージドソン将軍にもその指令の確認の電話が入ります。事の真相を確かめるべく、指令の発信元であるリッパー将軍に連絡を取るよう指示しますが、将軍とは連絡が取れないとの返事…

将軍から指令を受けたマンドレーク大佐は、基地内に置き忘れてあった一台のラジオから軽やかな音楽が流れてきているのを耳にします。将軍の司令室に向かったマンドレーク大佐はラジオから音楽が流れていることを将軍に話し、『こんな音楽が流れているということは、ソ連の攻撃は行われていないようなので、直ちに爆撃機に引き揚げの指令を出すべきです』と伝えます。

その大佐の話を聞きながら、将軍は『ラジオを撤収しろと言ったのに、撤収しなかったな。』と言いながら、なぜか司令室の鍵を閉めてしまいます。

将軍の不審な行為と言動に、ようやく事の真相を理解したマンドレーク大佐ですが、もうどうすることも出来ません。そうしている間にも、ソ連に近づいていく34機の爆撃機…

この映画は、最初にも書いたように基本的にはコメディーです。でも、おなかを抱えて笑わせるというコメディー映画ではなく、核爆弾を巡る軍人や政治家、科学者を滑稽に描きながら、戦争のおろかさを描いたような作品です。

なんとかソ連への核爆弾を回避させようと色々手を尽くしていきますが、偶然の出来事や事故、それに人間の心が複雑に絡み合いながら、事態はドンドン悪くなっていきます。

そのあたりを何のためらいもなく、描ききってるキューブリックが面白いんですが、40年経った今も尚、核爆弾を巡って起こる出来事を見てると、キューブリックのこの映画はコメディー映画というより、ドキュメンタリー映画なのかも?

そもそも、核抑止力なる論理がまかり通ること自体が滑稽と言わざる負えないのかもしれませんし、それが現実であるところがまた恐ろしいところです。

最初に書きましたが、この映画で使われる音楽は、核や戦争のイメージとは不似合いの牧歌的というか、おおらかな音楽を使ってますが、それがまた滑稽でもあり、不気味でもある感じです。

結局のところ、核爆弾というものを持ってしまえば、正常な気持ちを維持することは不可能なのでしょうし、一度相手を疑い始めれば、『やられる前にやれ』という発想になって、皆殺しになるしかないんでしょう。

実際、この映画の中でも、ソ連がアメリカに対抗して作り上げた最終兵器の名前が『皆殺し装置』なんですが、この皆殺し装置を最初に作ったのが、アメリカなのに大統領はそれを全く知らず、その指示を出した謎の科学者は、ナチの時代のクセが治らないドイツ人という、どこかリアルに感じてしまう設定…

核戦争には勝者も敗者も無いんですし、それを政治的駆け引きに使うということほど危険なことは無いんだと思います。

北朝鮮も、日本も、中国も、韓国も、アメリカも、ロシアも、とにかく今は冷静に対応をしてくれることを願うのみです。

ちなみに、この映画で、マンドレーク大佐役のピーター・セラーズは大統領と科学者役も演じてます。

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2006年7月 6日 (木)

六月の勝利の歌を忘れない~中田英寿選手の引退が意味するもの~

先日、サッカーの中田英寿選手の衝撃的な引退報道がなされ、今もまだその余韻は残っていますが、その中田選手にとって無念の結果となったサッカーワールドカップも、いよいよ残すは決勝戦と三位決定戦となりました。

ご存知の通り、日本は勝ち点1でグループ最下位という結果でワールドカップを終えましたが、4年前の日韓大会から日本は何が変わったんでしょう?

この10年間での日本サッカーは脅威的な成長を遂げ、その真っ只中にいたのが中田英寿選手でしたが、彼は日本の何に期待し戦い、何に失望し、現役を引退する決意をしたんでしょう?

8年前に、日本はサッカーワールドカップに初出場し、結果は三戦全敗。

それから8年が経過し、1分2敗の勝ち点1。

今回の結果は8年前の時よりも、多くの日本人に失望を与えたように思います。

8年前は、初出場ということで結果は無残でしたが、初めて『世界』を知り、そしてなんといっても期待の星である中田英寿選手がまだ20歳、それに続く黄金世代と呼ばれる中村選手や小野選手が彗星のように現れ、多くの日本人は希望を抱いただけに、失望感よりも4年後、8年後への期待感が強かったように思います。

それだけに今回の結果は失望が大きい。

そんな中で、地元開催とはいえ、初勝利どころかベスト16にまで進んだ4年前と何が今回は違ったのか?を知りたくて、『6月の勝利の歌を忘れない』という岩井俊二監督のドキュメンタリー映画を観ました。

Photo_30 この映画は、4年前の日韓大会のワールドカップ開幕前の合宿の様子から日本代表に密着で映像に収めた作品です。

当時の日本代表選手の様子がうかがえる貴重な映画ですが、その作品の冒頭で、合宿を始めるにあたり当時の日本代表監督トルシェ氏が、選手たちに向かってこんなことを言います。

『私は今回の代表選手を精神力の強い選手を選んだ。』と明言し、中山選手や秋田選手といったベテラン選手の重要性も選手達に説いているのです。

当時から今回のワールドカップ前まで、この時の選手選考で中村俊輔選手が外されたことが話題となっていましたが、今回のワールドカップを終え、あらためて当時の代表メンバーを見てみると、単に上手い選手を選んでいるというより、『気持ちの強さ』を重視した上で、ベテランと若手のバランス、技巧派と肉体派のバランスといった様々なことを考慮して選ばれてたように思いました。

実際、この作品を観て思うのが、開幕前の合宿中でも秋田選手や中山選手の存在がチームにとっても非常に重要で、そういった選手の存在が、中田英寿選手のような特別な存在をチームに溶け込ませていたように思います。

この数年で、中田英寿選手が、日本代表の中で浮いた存在であることは当たり前のようにメディアでも報道され、僕達もいつしかそれが当たり前のように思ってましたが、4年前のチームはそんな感じでは全く無いんですよね。

確かに当時から存在感のある選手ではありましたが、その中田選手を特別扱いするのではなく、周りの選手や監督たちもごく普通に接しているのが印象的でした。

全体練習が終わった後や、ちょっとした休憩の時でも、中田選手の表情が最近のように強張った感じではないんです。

考えてみれば、中田選手の高校時代のインタビュー映像を見ていても分かるのが、本来の彼はすごく『素直で自然な感性』をもった人であるということ。

すごく責任感が強く、周りのことを常に考える人であるということ。

それがいつしか、色々な意味で日本代表そのものとなってしまい、特別な存在に祭り上げられる中、必死で孤独な戦いを続けてきたのかもしれません。

ブラジル戦が終わった後、グラウンドに10分ほど横たわった後、スタンドのファンに笑顔で挨拶をしたときの顔が、今思うとそういう色々な重圧から解放された表情だったようにも思います。

中田英寿選手という類まれな才能を見出した日本ですが、実は、彼一人に全て押し付けてきたのかもしれません。

中田選手の引退を惜しむ声は各界であがっているようですし、僕もその一人ですが、彼一人に全て押し付けるような現役復帰であれば意味がないのかもしれないとも思います。

今回のワールドカップの戦いを見ていても、単に技術や戦術だけで勝てるような試合はなく、本当に『気持ちの強さ』が必要であることが分かったような気がしますし、4年前のチームには、『初勝利』に向けて純粋にチーム全員が戦っていたように、この映画を観て感じました。

前回大会の悔しさを晴らし、自国開催のプレッシャーに勝つためにも、がむしゃらに勝利を求めた日韓大会と、あまりの期待感でマスコミも含めて、いつの間にかベスト16以上は当たり前のように思ってしまった今回との違い、それが岩井俊二監督の手によって見事に描かれていたように思いました。

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2006年7月 1日 (土)

白いドレスの女~甘い誘惑にご用心~

今日から7月。今年もなんと半分が終わってしまったんですねえ。

そして夏の始まり。

巷では、今日から夏のバーゲンが始まったところが多いようで、最近では夏のバーゲンの始まりが夏の始まりを告げるイベントのような感じです。

私も以前はアパレルの会社にいたので、特に思うところなんですが、昔に比べるとバーゲンの始まりが早くなったおかげで、『これから暑くなるぞー』という時に、一斉に値引きをするんですから、お客さんにとってみればいいんですけど、売ってるほうからすると複雑な心境なんですよネ…実は。

今年なんか、夏物の販売がスタートする5月に雨がよく降って気温が低かったおかげで、在庫は多く残ってるだろうし、なかなかアパレル業の裏側っていうのは大変なんですよ。

さて、夏と言えば、何かと活動的なシーズンですが、『ひと夏の恋』なるものも騒がれる時期ですよね。特に、男どもにとってこれからの数ヶ月は、何かと誘惑の多い季節というか…時に目の保養にもなり、時に目のやり場にも困る季節。

先日、インターネットの記事を見ていると、メキシコでは、よそ見運転で事故を起こす原因で二番目に多いのが『イイ女』というのがあったんですが、思わず『分かるなあ…』って思いました(^_^;

そんな男どもが、ちょっと怖~くなるのが、この映画。

Photo_29 『白いドレスの女』(原題body heat)

1981年のアメリカ映画で、監督・脚本はローレンス・カスダン。

出演は、ウイリアム・ハート、キャスリン・ターナー、ミッキー・ローク。

監督のローレンス・カスダンはこれが監督デビュー作ですが、脚本家として『スターウォーズ 帝国の逆襲』や『スターウォーズ ジェダイの復讐』『レイダース 失われたアーク』などで脚本を担当していた脚本家でもあります。

なので、この映画は脚本がイイ!巧い!って感じです。

ウイリアム・ハート演じる主人公のネッドは野心家ですが、腕は二流の弁護士。しかも極度の女好き。

映画の冒頭シーンでは、女との情事を済ませたネッドが夜の闇に浮かび上がる火事を見つめているところが映りますが、それはこれから始まるネッドの運命を暗示しているようでもあります。

ネッドは弁護士というには、どこか軽い印象を与え、法廷でもどこか詰めが甘い仕事ぶりで、時間さえ出来れば女との情事を繰り返す始末。(このあたりの設定も実は物語の進行に大きく関わってきます。)

そんな夏のフロリダの夜、ネッドは野外ステージを一人で歩いていると、白いドレスを着た『イイ女』を見かけます。ネッドがこんなチャンスを放っておくわけがありません。

早速、女を口説こうとするネッドですが、女は自分が人妻で、家がパインウッドにあることだけを伝えると、軽くネッドをあしらってその場を去ってしまいます。

でも、これが男を更に誘っていくんですよね。

案の定、ネッドはなんとかもう一度『白いドレスの女』と会いたいと思い、女の居場所を探し続け、やっとのことで突き止めます。女の名前はラディ・ウォーカーで、20歳年上の男と結婚し、豪邸に住んでいますが、夫はたまにしか家に帰らず、夫婦の関係も冷えていることが分かります。

当然のことのように、二人はお互いを求め合い、毎晩のように情事を繰り返します。(このあたりのシーンは、ちょっとクドイかなあ…)

ネッドはラディの魅力の虜となり、いつしか離れられない関係へとなっていきますが、ある日、ラディからある頼み事をされます。

それは『夫の殺害』。

法を遵守すべき立場にいるネッドですが、ラディを助けたいという一心で、ついにその計画を実行してしまいます。

が、それはネッド自身も破滅へと追いやる計画だったのです…

この映画は、特に謎解きがあるわけではないのですが、主人公の設定の仕方やキャスティング、ストーリーの展開のさせ方などが巧くかみ合っていて、映画の終盤になると、ネッドの置かれている状況がドンドン明らかになっていき、なかなか面白いと思いますよ。

この映画を観てると、『ネッドってアホやなあ…』と思ってしまうんですけど、魔性の女の手にかかれば、大半の男性は大なり小なりネッドのようになってしまうのかもしれませんねえ…怖いですねえ、女って。

男性陣は、甘い誘惑にご用心!

と言いつつ、甘い誘惑に吸い寄せられる、それが男の性なんでしょうねえ…情けない(>_<)

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