2006年5月10日 (水)

世界の祭典まであと1ヶ月~映画のお話ではないのですが~

世界の祭典…

というと何を思い浮かべるでしょうか?

日本人の多くの人は、やはり夏のオリンピックを思い浮かべるのではないでしょうか?

私も子供の頃はそうでした。

あるスポーツの存在を知るまでは…

そう、それは『サッカー』のワールドカップ。

今では、日本代表も3回連続出場ということで、日本の多くの人もサッカーのワールドカップの存在を知らない人のほうが少ないでしょうが、この大会は本当にバケモノのような大会なのです。

今年の3月には野球のWBC(ワールドベースボールクラシック…略すると、どうもプロレスかなんかの団体のように聞こえてしまうのは私だけ?)が初めて行われ、メデタク我が日本代表が優勝しましたが、サッカーのワールドカップは1930年が第1回開催ということですから、70年以上の歴史があるわけです。

FIFA(国際サッカー連盟)のワールドカップ公式HPによると、前々回のフランス大会の観戦者数はのべ370億人(!?)、決勝の観戦者数は13億人というんですから、ほとんど世界中の人が観ているということになりますよね!スゴイ!

実際、大会期間中は政財界のVIPも自国の勝敗が気になって仕事にならないことも多く、特にヨーロッパや南米といった国では大統領や首相でも、試合中は仕事をほとんどしないぐらい…というより仕事が手につかないらしいです。

と、なんでまた急にサッカーのワールドカップの話を切り出したかというと、もちろん6月9日の開幕まで1ヶ月になったこともあるんですが、今日は大阪の長居スタジアムで行われた『日本代表VSブルガリア代表』の試合を観てきたからなんです(^0^;

Blog_008 ブルガリア代表は残念ながら、今回のワールドカップには出場が出来ないんですけど、サッカーを少し詳しい人ならご存知でしょうが、このチームも結構強いんです!

1994年に行われたアメリカ大会では、現在監督をしているストイチコフ選手が大活躍して、4位にもなっている国。

実は、ヨーロッパの国々はやっぱりサッカーの歴史が古いことや、周りに強豪国が多いこともあり、ワールドカップに出れない国でも、強い国はゴロゴロいるんです。

実際、今日の試合なんか観ていても、それを痛感しましたわ。

結果はご存知のように1-2で負けたということもあるんですけど、正直、試合が始まったときから、ある程度の結果は見えていたような感じ…残念ながら、ワールドカップ出場国といえども、代表当落線上の選手では相手のほうが一枚上手。

それを感じたのは、やっぱり『プレーの読み』。

スタジアムで観ると、テレビと違ってフィールド全体が見渡せるからよく分かるんですけど、日本の選手の動きはほとんど読まれてた感じ。

確かにシュートは打ってたので、それだけを見れば良いように思いますが、日本の選手のプレーを見ていると、なんか型にはまった中でプレーしていて、結構苦し紛れのパスが多いような…

別にパスの受け手がフリーでもないのにパスしてみたり、とにかくサイドの選手にパスを送ってみたり…

それに比べて、ブルガリアの選手は、しっかり相手の動きや敵の動きを見て、次を予測してる感じ。だから、パスやシュートが理にかなってる感じでしたわ。

それって、どこから生まれてくるのかというと、前回の記事にも関係しますけど、『一人一人が考えてプレーしてる』ってところでしょうか?

日本人(韓国や中国の人もそうかもしれませんが…)って、教えられたことを守るのは一流なんでしょうが、周りの状況を見ながら自分で考えて行動をするのには慣れてないんでしょうね。

サッカーやったことがある人なら分かると思いますが、あのスポーツって、ルールはすごくシンプルなんですけど、いざプレーしてみると、常に周りの状況が変化してるから、最初はホンマ戸惑うんですよね。

特に日本人の場合、私も含めてミスをするのを恐れる傾向にあるから、プレーを型にはめて、出来る限りミスをしないようにというか、『ミスであることが分かりにくい』ようにプレーしてしまうんですよね。多分。

だから、あまり意味を考えずに、教科書的なプレーをしてしまう。

でも、周りの状況を考えずに、決められたプレーをしていると相手には読まれてしまうし、結局意味の無いパスやドリブルをしているだけにもなりやすい…

どうして、そこにパスを出すのか?

どうして、パスではなくてドリブルなのか?

どうして、そのポジションにいるのか?

相手の動きや味方の動きを予測しながら、そういった細かいことの一つ一つを普段から考えてプレーしないと、サッカーのような変化の激しいスポーツの世界でトップレベルとは戦えないんでしょうね?

なあ~んか、久しぶりに代表の試合を観ていると、サッカーの応援よりも、サッカーを生み出したヨーロッパの国の歴史や文化に思いをめぐらしてしまいました。

まあ、アルゼンチン代表のジャージを羽織って、アウエーの席で観てたぐらいですから、ハナからサポーターではないんでしょうけど^_^;

たかがサッカーの話ではあるんですけど、長きにわたり戦争や紛争の中で生き抜いてきたヨーロッパの国の人のしたたかさを感じると同時に、日本人のうぶさに危うさを感じてしまう一日でした。

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2006年5月 3日 (水)

ネット社会の憂鬱

やっとこさ、インターネット開通というか復帰(^0^v

前回の記事で少し触れましたが、先週末が引越しだったために、この数日間はテンヤワンヤの日々でした。(テンヤワンヤって古い表現。昔の漫才師の方でおられましたけどね)

特にちょっとした行き違いのために、プロバイダー変更に伴うインターネットの開通が遅れてしまい、一時は仕事にまで障害が出るのでは?と冷や汗ものでした。

しかし引越しの時にいつも思うのが…

①なんでこんなに荷物が多いんやろ?

②しかも、必要がなさそうなものが多いなあ…

③(いざ、新しい家で整理を始めると)あれは、どこに入れたっけ?

とまあ、今回もそんな感じでした(^0^;

それにしても自分で不思議に思うのが、テレビがつながらないことよりインターネットがつながらないことにイライラしている自分…

確かに仕事関係のメールのやり取りを行う可能性もあったのが一番の理由なんですが、それとは別に落ち着かない気持ちになってたというのが不思議でした。

何か情報を仕入れようと思ってもインターネットが無いと急に不便に思ったり、当然ブログのことも気になってたんですが、これって、インターネットをほとんど使わないウチの両親なんかにすれば『何を必死になってんねん?』って感じでしょうね。

(ウチの父親がメールを見るのは忘れるから見ないようにしてると言って、1000通以上が未読になってたのは笑いました^_^;確かに、広告のメールばかりで仕事には利用してないようでしたけどね)

先月の13日の毎日新聞webサイト記事によると、3月末のブログ登録者は868万人で半年間に80%以上増加しているらしく、特に30~40代の女性が友人作りのためにブログを作成することが多いとか。

これって、ネットワーク社会に急速に変わっていきつつあることの反映なんでしょうし、ツールとして利用できるものはどんどん利用すればOK!と思う反面、バーチャルなコミュニケーションに依存するようになるのはマズイなあ…とも思うんです。思いません?

やっぱり、本当のコミュニケーションというのは、人と人が直接会って、お互いの声を聞くだけでなく、お互いの表情やその場の空気も感じ取りながらじっくり積み上げていくもののような気がしています。(これってオッサン?まあ十分オッサンやけど)

実は、来週末に大阪の靱公園に面するカフェに知人や友人たちを少しばかり集めて、食事と映画を楽しむパーティー『cinema cafe 』を初めて行うんですが、これもそういう思いから出てきたものなんです。

このブログも単なるバーチャルなコミュニケーションの場というより、リアルなコミュニケーションの延長としてやっていければと思ってます。

まだまだ家の中が片付いておらず、週明けの仕事の準備も進めなあきませんし、テレビもまだついてない。

引越し明けで、とりとめの無い文章になったかもしれませんが、今日はひとまずこのあたりで…

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2006年4月26日 (水)

消えていく記憶、見えない恐怖~チェルノブイリ原発事故から20年~

今からちょうど20年前の1986年4月26日未明、当時のソビエト連邦ウクライナ共和国にあるチェルノブイリ原子力発電所4号炉で、その事故は起こりました。

当時の私は成人したばかりの若造でしたが、その衝撃は今でも覚えています。

国境を越えて拡がる放射能汚染の恐怖。

でも、それから20年が経過した今思うのは、しょせん自分にとって『対岸の火事』としか認識していなかったということ。

ここで当時の事故を簡単に振り返ってみると…

定期点検中の原子力発電所で、出力を停止する際の実験で突然爆発が起こり、原子炉は壊れ、核燃料は粉々になって1000メートルから2000メートル上空まで吹き上げられました。鎮火には1週間も要し、作業に関わった多くの人も被爆するという事態となりました。

あまりの事故の大きさに、コンクリートで事故を起こした4号炉を閉じ込めるという方法しか行うことが出来ず、今尚、想像を超える量の放射能が存在しているのが現実で、最近では、そのコンクリート自体も風化の問題が生じているような状況。

事故後、チェルノブイリ原発の周囲30KMは人の住めない所となり、14万人の人が非難したと言われます。

又、放射能汚染により、子供の甲状腺ガンが急激に増加し、当時は発生しにくいと思われていた大人の甲状腺ガンも今なお増加しているそうです。

そのために、チェルノブイリ周辺は若者が町を離れ、家族が離れ離れになり、多くの村や町が今なお消滅していっている。

放射能汚染で被爆している土地から、離れたくても離れられない老女。

息子と離れ離れになり、被爆した土地に残って生きる老父。

日本では、原爆の被爆者が有名ですが、実は世界中にはヒバクシャと呼ばれる放射能汚染に苦しむ人々が数多く存在し、チェルノブイリのように原発の事故で被曝する人の他にも、核実験の影響で被爆に苦しむ人は数え切れないと言います。

また、明らかに放射能汚染で被爆していると分かるような状況でも、事故との因果関係を否定され、国からも見離されることも少なくない現実。

目に見えず、匂いも味も無い放射能に侵される恐怖。

それだけに、チェルノブイリのように一度フタをされてしまえば、被爆を免れた人々はそれで安全だと思ってしまう錯覚。

そして薄れていく恐怖の記憶。

日本でも、敦賀原発事故から時間が経過し、記憶が風化するにつれて、浮上してきた『原発安全論』。

特に私たち日本人の場合、どうも根拠の無い雰囲気に流されやすい傾向にあるようなので、今いちど、一人一人の心の中で、記憶を呼び起こすと同時に、記憶が風化しないように努めていかないといけないのかもしれません。

そうでなくても、人は忘れやすい生き物なのですから…

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2006年4月22日 (土)

普通って?~岐阜の女子中学生殺人事件で思うこと~

岐阜県中津川での女子中学生殺人事件。

犯人は普段から交際のあった高校1年生の男子生徒。

動機はまだはっきりしないものの、交際をめぐるトラブルをほのめかしている様子。

こういった事件が最近本当に増えている気がするのは気のせいなんでしょうか?子供をめぐる事件が新聞の紙面を賑わすことが珍しくなくなってきたのが怖い気もします。

しかも、子供同士の事件。

この高校1年生の男子生徒も普段は普通の子だったらしいですけど、こうなってくると何が普通で何が普通でないのか?が分からなくなってきます。

そもそも、今の日本社会で言う『普通』って何をさすんでしょうね?

逮捕された少年の家族は数年前に東京から引っ越してきて、『あいさつもするし、よく冗談を言う明るい子』だったようですが、確かに、それはごく普通の子ということかもしれません。でも、そもそも人の心の中というものは、単に挨拶をするとかしないとか、冗談を言う言わないといったことで分かるものなんでしょうか?

だって、普段から『アイツ危ないゾ』って思えるほうが少ないし、多分、そういった場合のほうが犯罪は起こりにくいんじゃないでしょうか?

となると、『人を見たら泥棒と思え』がイイのかというと、そんな単純なものでもない。

実は、今の日本社会って、大人も子供も何が普通で何が異常なのか?が分からなくなってきてるのかもしれませんよね?

戦争を何十年も経験していない世界でも数少ない国。

街で飢え死にする人を見かけない国。

世界で一番の長寿の国。

莫大な借金を抱えてながらも、不景気と言われながらも、海外のスーパーブランドの店に群がる国民。

海外旅行が珍しくない国。

などなど。

これって普通なんでしょうか?

世界の他の国から見れば、日本ほど恵まれている国は無いのかもしれません。

でも、それを実感出来ずに感覚が麻痺して、自分たちの居場所を見失っている私たち。

だから、友達がいることが普通で、いないのがオカシイって発想につながって、友達なんだから、恋人なんだから、自分に~をしてくれるのは当たり前!って思ってしまう。

だから、ちょっとでも自分の気に障ることを相手がしたり、言ったりすると、すぐキレル。

自分でなくて、相手が悪いと思ってしまう。

今回の事件もそんな今の日本が抱える病の現れなのかも?と思ってしまいます。

この少年もそういった日本病の被害者なのかもしれません。

最後に、亡くなった女子中学生の冥福を心から願うのみです。

PS.

今回は、事件が事件なので、いつものような映画の話は控えさせてもらいました。

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